この社会の一員として、そして一人の声フェチとして、どうしても見過ごすわけにはいかないことがある。
それは、世の中のどちらかというと「やんちゃ」なグループに属する若者たちに特有の
あのしまりのないふにゃふにゃした喋り方である。
例をあげてみよう。
「エーうまぬやー、も~や~買ってきよーさい。にーりたんとや言わせねーらんよ」
(訳:おいそこの君、タバコを買ってきてくれ。嫌とは言わせないよ)
失礼、これは沖縄弁だった。
でも言いたいことはわかっていただけたと思う。
あの、声を出すのもめんどくさいと言わんばかりのだらしねぇ感じと
だらしねぇにもかかわらず、そうやって話すことがカッコイイと思い込んでる勘違いっぷり。
これは世間の目から見ても、非常によろしくないことだと思う。
だからこそ僕は、やんちゃなクソ坊主どもにこそ、ハキハキとしゃべってもらいたいと思う。
というか、そうしてもらわないと困る。
たとえば、ちょっとアウトローな方と、すれ違いざまにうっかり肩をぶつけてしまったとする。そこで
「ってぇー!おいィ、おめぇおこめぇつけえほっつえあういてぇんあぁ!?」
なんて絡まれたら、もうお手上げである。コミニュケーションの取りようがないんだもん。
喧嘩を売ってるのかどうなのかくらいはっきりしてもらわないと、こっちが困るのだ。
これが沖縄だったら
「あがっ!まーんかいみーをつけてさるいているぬやいびーんか!?」
もっと無理かもしれない。
ともかく、このだらしねぇ若者喋りは、致命的なコミュニケーション不全を生みついには深刻な治安の悪化をもたらす。
我々は早急にこの課題を解決せねばならない。
しかし、どうすれば解決できるのか。
結論から言おう。
ずばり「アニメの普及」、これによって解決できる。
近年、日本のアニメは、ますます市民権を拡大しつつある。
「高校のときリア充だった友人と久しぶりに再会したら、急にハルヒやひぐらしについて熱く語りだし、びっくりした」というのもよくある話。
この調子でもっと裾野を広げ、世の中のはみ出し者にもアニメの魅力を伝えてしまおう、という計画である。
もしこの計画が成功すれば、どうなるか。
答えは、「彼らの声がすごくよくなる」。
いわゆる不良グループの人というのは、自分がカッコイイと思うものを模倣しようとする傾向が非常に強い(と思う)。
先輩が校舎裏でタバコをふかす姿に憧れて、自分もタバコを吸い始める。
暴走族に憧れ、教習所に通ってバイクの免許を取る。
腰パン姿がカッコイイと思って、自分もズボンを下げパンツを見せる。(あいつらはパンツなのに恥ずかしくないのだ)などなど。
言うなれば「先パイ、マジカッケーっす!」という純粋なリスペクトの精神こそ、非行少年のメンタルの核を形成しているといってもよい。
だからこの純粋さを正しい方向に導いてやれば、非行少年は目の輝きを取り戻し、夢に向かって走り出すのである。(詳しくは「ごくせん」を参照)
ここまで言えば、もうおわかりだろう。
非行少年たちがアニメにどっぷり浸かるようになれば、彼らが尊敬し、まねる対象は
アニメに登場する素敵・さわやか・エロティックな声の男性キャラ、ひいてはその中の人となる。
つまり、彼らの模倣の対象が「マジカッケー不良の先パイ」から「緑川光」に変わるのだ。
こうして世の中のはみ出し者は、みな目を輝かせて声優への道を歩みだし、養成所に通いだす。
その中の大半は声優になれず、途中でグレて再び不良の道を歩むことになるかもしれない。
だが、それでいいのだ。
そうして生まれるのは「異様に滑舌がいい、大量の不良」である。
ちゃんとコミュニケーションも取れるし、声がいいから話していて心地よい。
おそらく、7割くらい不快度は減るんじゃないかと思う。
それに、不良側にとっても大きなメリットがある。
学生にとって、「不良」という属性は、女子にモテるステータスである。(本当になぜかモテる)
そこになんと、「緑川光」属性が加わる。そんなハイスペック男子を、世の女子がほかっておくはずがあろうか。(いや、ない)
そう、元よりモテる不良たちが、そろってアニメを見るようになれば、鬼に金棒。
さらにいい声を手に入れた結果、これでもかというくらい女子にモテる。
そして、ただでさえ少なかった俺たちの取り分は限りなくゼロに近づき…えっ!?
…。
だから、世の中の不良の方たちには、あのだらしない喋り方をもっともっと続けてほしい。
アニメも見なくていい。
-おわり-
著者:ブレーン(笑)
1こめげと
ということで,緑川光は属性ではないという突っ込みはおいといてたしかに不良はもてますね。なぜでしょう・・・
意外と,答えは「アニメを見ないから」という対立的なところにあるのかもしれません。
>>2ゲト
不良は将来がないから。
散る前の桜が1番美しいのと同じ。将棋でも、駒は取られる直前に1番働くというしな。
儚いものはその最後でもっとも輝く。
だから多くの女が勘違いする。母性本能をくすぐるというのもある(20才ぐらいまでだが)。
それに1度ドロップアウトした者だからこそ、他人の苦しみが分かるというのもある。
たとえばクラナドの主人公はその属性をことごとく兼ね備えている。
自分の社会に対する不満やかつての葛藤を吐き出してくれているように感じるという心理もある。
智代は、朋也にかつての自分を重ねている。この感覚はサブカルチャーだけの問題ではない。
「何であんな奴が」と簡単に思ってはならない。
冷静に何故モテるのかを分析し、自身の生き方にフィードバックすべきである。
常に現象は起こるべくして起こっている。
それと納得のいかない自分との間にある乖離の原因を検討することから議論は始まる。